元パラリンピック選手・花岡伸和さんに聞く「パラリンピックの魅力」

2021年に東京五輪・パラリンピックが開催されたことが記憶に新しい人も多いだろう。だが、パラリンピックの認知度はオリンピックに比べ、まだまだ低いと感じる。どうすれば認知度が上がるのか、元パラリンピック選手であり現NPO法人関東パラ陸上競技協会理事長の花岡伸和氏に話を聞いた。(写真はいずれも花岡さん提供)
【神奈川大学2年・椿恵里佳、同4年・遠原さくら】
はなおか・のぶかず
1976年生まれ大阪府出身。17歳のときにバイク事故で脊髄(せきずい)を損傷。その後車いすマラソンを始め、マラソン男子(T54)で2004年アテネパラリンピック6位。同種目で12年ロンドンパラリンピック5位。現在は関東パラ陸上競技協会に務める傍ら、横浜国立大学でインクルーシブ教育や多様性に関する研究・実践活動も行っている。
パラ陸上競技連盟での取り組み
――関東パラ陸上競技協会は、陸上競技の普及、育成に努めています。また、年に1回記録会も行っています。
花岡 未就学の小さい児童でも参加可能で、記録や順位にこだわらず、勝ち負けを争わないことで、普段走ったことのない長距離やトレーニングに親しみを持ってもらうのが狙いです。
まだまだ障害があることで家から出ない人が多いと考えています。”スポーツ”と言ってしまうと、自分にはスポーツは無理だと感じてしまう人も多いです。そのため、体を動かしたり、仲間を作るきっかけを作ろうとしています。
――東京の町田市と江戸川区の2カ所でパラスポーツを広める教室も開いています。
花岡 勝ち負けではなく、みんなで自分のできることをやれたと認め合う空間を作れるように心がけています。
車いすマラソンを始めたきっかけ
――車いすマラソンの種目を目指したきっかけは何ですか?
花岡 元々走ることが好きだったんです。とは言っても走る以外の運動は全然できなかったんです(笑い)。アスリートの人はなんでもできると思われがちですけどね。好きだったし得意だった走ることを足で走ろうが、腕で走ろうがとにかくやってみたいと思ったからです。
――1500メートルを選んだ理由は何ですか?
花岡 子供の頃は短距離よりも持久走とかの方が得意だったこともあります。それに加えて、車いすレースの世界では、マラソンから始めるという文化があります。とりあえずマラソンの長い距離を走れるようにしようという先輩の教えもありました。
――苦労したことは何ですか?
花岡 費用ですね。今はだいぶ変わりましたけど、認知度も低いのでスポンサーがつかず、ほとんどの選手はフルタイムで働いていました。
もう一つは練習場所の確保です。その辺の道をレース用の車いすが30キロで走るわけにもいかないですし。
――支えてくれた人はいますか?
花岡 事故してすぐのときだと、家族、友達、学校の先生をはじめ病院のスタッフの人などたくさんの人に支えてもらいました。その人たちがいなかったら自分はパラリンピアンになれなかったと思います。選手になってからだと、自分の大先輩にあたる山口悟志さんには練習着のお下がりをもらったり、焼肉に連れて行ってもらったり、大変支えになっていただきました。
僕が一番凹んだのは北京パラリンピックの代表になれなかったときです。辞めようかと迷いましたが、そのとき息子はまだ2歳で、辞めてしまったら息子に僕が選手だったときの記憶が残らないと思ったので、続けようと思いました。息子の存在が僕を前向きにさせてくれました。

――パラリンピックで入賞したときの気持ちはどうでしたか?
花岡 アテネパラリンピックのときは、(自分にとって)初めてのパラリンピックということもあり、自分が今何位なのかよくわかっていませんでした。ただ、自分が日本人選手の中でトップだったことはわかり、それなりに良い順位なのだと思っていました。上位の選手とは引き離されていて、一人で走っているような状態でした。当時は暑さやコースの厳しさでリタイアする選手も多かったぐらいしんどくて、最後ゴールしたときは「ようやく帰ってきた」という気持ちでした。順位も大切ですが、なんとか生きて帰って来れたという感じです。
ロンドンパラリンピックのときは、アテネのときより高い順位でゴールすること。そして、先頭集団でゴールすることが目標でした。結果的に自分の目標は達成できたので、ものすごくすっきりしたゴールでしたし、目標を達成したら引退する予定だったので、「明日から練習しなくていいんだ」という気持ちでした。(笑い)。
――パラスポーツを振興することは障害のある人にとって良い影響はありますか?
花岡 パラリンピックが勝利至上主義になりすぎると、スポーツをしていない障害のある人が頑張っていない人だと思われてしまい、あまり良い影響は与えられないと思います。ですが、特に身体障害者にとって、運動して体力をつけることは大切なことです。体を動かして、自分自身が楽しいと思えるスポーツをすることが重要だと思います。パラリンピックは、そのきっかけにしかすぎないと思います。パラリンピックがあることで行政が動いてくれたり、企業がスポンサーになってくれたりする、いわばコマーシャルのようなものとして利用すべきものだと思っています。
そして、パラリンピックが障害者スポーツの全てであるかのようなイメージが作られてしまうと、高い競技力を身につけなければいけないと思わせてしまうなど、スポーツを始めたい障害者に対してハードルが高くなり普及の妨げになってしまいます。
――花岡さんの教え子である鈴木朋樹選手がパリパラリンピックで銅メダル(男子マラソン)を獲得しましたがそのときの気持ちはどうでしたか?
花岡 彼が僕の指導から離れてずいぶん長いのですが……。どちらかというと父親のような目線で彼をみていました。ようやくやってくれたなというような感じです。彼もたくさん苦労してきたことを知っているので。僕も解説をしながら、鈴木選手がレースで自分のやりたいことがようやくできるようになったのだと感じました。

――花岡さんはバイクで事故に遭われたのに、今でもトライク(三輪のオートバイ)に乗っているのはなぜですか?
花岡 一つは30年前に止まった自分のオートバイライフをもう1回動かしたいと思ったからです。僕の夢は笑って死ぬことなんですけど、それをしないと死にきれないと思ったんです。
オートマのトライクだったら今持っている免許ですぐ取れるのですけど、それではなく、自分でギアチェンジできるマニュアルタイプを取りたかったんです。そのためには免許の限定解除が必要で、それがすごく大変なんです。まず、乗り物を作ることから始まりました。それから試験所からの許可が必要で、許可されても練習場所が無いのです。
10カ所の教習所に練習させてほしいと電話をかけましたが全部断られました。それで、最初に電話をかけたところに少し言い方を変えてもう一度電話をしたところ、OKをもらえました。
――どういう風に言い方を変えたのですか?
花岡 「教習を受けたい」から「練習のためにコースを貸してほしい」に変えました、すると、その教習所のお偉いさんの同級生が特別支援学校の先生で、車いすレースに関わっている人だったのもあってそれで受け入れましょうということになりました。
でもなぜわざわざ不便な思いをしたかというと、障害というのは個人の中にあるもの、例えば私なら歩けないということと思われがちですが、実は障害は社会にあるものであって、それをなくしたかったためです。例えば、階段しかなく、エレベーターがないっていう物理的な障害のことです。それ以外にも、障害者の人たちは家で大人しくしてればいい、という考え方が社会にあるとしたらそれは、心理的な障害になるわけですよね。
障害というのはいろいろなことが複合的に絡み合って起こることなので、何か一つ解決したら全部うまくいくかっていうと、そういうわけじゃない。建物に全部エレベーターをつけたら良いかというとそうじゃないので。やっぱり一つずつ解決していかないといけないと思います。
そういうことで今回僕が挑戦したのは、免許制度の中にある障害です。それをクリアしたということです。これが前例になって、将来的に車いすの人がバイクに乗りたいって人が出てきたときに、もっと楽に限定解除できたり、最初から自分で取りたい免許を選べるようになったりといった権利の確保につながっていったらいいなと思います。

――花岡さんの明るさの秘訣はなんですか?
花岡 それは自分ではわかりませんね(笑い)。ただ僕は元々すごくネガティブな人間だと思うのですよ。悪いことを考え過ぎちゃう自分がいるっていうことがわかったので、じゃあ悪いことに囚われずに済むにはどうしたらいいかっていうのを行動に移しました。それで、今こういう感じなのかなと思います。事故を起こした直後も「自分でやってしまったことだから仕方ない」という感じでした。
一番大事だったのは、情報収集
――下半身付随になったときはどういう気持ちでしたか?
花岡 事故の直後の寝たきりだった状態のときに担当医から脊髄損傷の本を借りたのです。アメリカで書かれたものを和訳した、当時最先端の脊髄損傷の本でした。それを読んだら、自分の体がどのようになっているのかというのも理解できたし、日本の医学書だったらそこまで触れないというようなスポーツや遊び、性的なことまで赤裸々に書かれていました。当時17歳の僕にとっては、いろんなことができるのだということがわかりました。それで自分の将来を悲観することなく、前進していけるようになったのだと思います。
障害者になった初期の段階で正しい情報をしっかり得られたというのが非常に良かったのだと思います。その体験が元になって、自分自身が行動を起こして、情報収集をして正しい判断をしていけば未来が開けるのだということがわかっているので、おそらく楽観的にいられるのだと思います。
パラリンピックの認知度が低い理由
――パラリンピックの報道が少ないから一般人の認知度が低いのではないでしょうか。
花岡 30年前に比べれば増えた方だとは思いますが、それでもまだ情報量としては少ない方だと思います。鶏が先か卵が先かのように、認知度が上がればスポンサーが付くかもしれない。でも、スポンサーが付かないから放送されなくて認知度も上がらないというジレンマがありますね。
――パラリンピックの認知度を上げるにはどうすればいいでしょうか。
花岡 これは僕が言った勝利至上主義になってはいけないという話に矛盾するかもしれないですが、世界チャンピオンを作るということです。注目を集めるために勝利をして、コマーシャル的な役割を果たすということです。強くて、人を惹(ひ)きつける魅力がある選手が出てくるというのが非常に重要ではないかと思います。例えば車いすテニスの小田凱人選手がそうですね。CMに出ているなど、発信力を持つ選手が増えていくと、社会にポジティブな影響を与えていってくれるのではないかと思います。でも、悲しいかな、どんなに報道が増えても興味ない人は見ないのですよね。メディアに取り上げてもらうだけではなくて、今までパラスポーツを見たことがない人にどうやって興味を持ってもらえるかということを考えていかないといけませんね。
そこで、世界的チャンピオンがいるという一方で身近なパラスポーツを作っていくということが重要です。それは障害の有無に関係なくです。例えば、肉フェスをして、そこにパラスポーツを体験するブースがあるというように。パラスポーツを体験しましょうというイベントをやったとしても、興味のある人しか来ないんですよ。興味がない人にも訴えていくには、興味がない人たちが集まるイベントで身近なものとして体験してもらうっていうのが大事かなと思います。例えば、ボッチャなんかは誰でもできるので、何点か取ったら、点数分だけ肉フェスの券をもらえるとか(笑い)。そういった工夫がないと、パラスポーツの認知度は上がっていかないと思います。
いまだに日本では障害がある人たちの能力は低いという見方があります。日本人が持っている障害者に対するイメージも変えていく必要があると思います。
みんなができること
――競技団体にできることはありますか。
花岡 選手を強くして勝たせなきゃいけないということ。大会を見にきてもらうためにコマーシャルを作ること。教室を使って裾野を広げていくこと。
――企業にできることはありますか。
花岡 競技や競技団体の取り組みに価値を見出してもらうこと。僕がよく言うのが、今、日本は働き手が減っています。けれども、日本人の障害者の労働力がまだ余っていると思います。健康のためにスポーツをしている人が企業に就職していくのが大事かなと思います。
――行政にできることはありますか。
花岡 環境整備がまだまだ大事だと思うのでそれですね。トップアスリートへの資金援助はあるのですが、コーチやトレーナーに対しての資金援助はあまりないのです。子どもたちに道具を買うお金が必要なので親御さんの負担も大きいのです。だから福祉の方と連携して支援してもらえると良いかなと思います。
――一般の人々にできることはありますか。
花岡 興味がなかったら大会などみに行かないと思うのですが、まずは観てください。観てもらって、知ってもらうということが非常に大事だと思います。知ってもらった先に、ボランティアとして大会を手伝うなど協力をいただければうれしいです。それによって得た情報を「パラスポーツ良いよ」という口コミで広めていただけるのもうれしいです。教室に来る人たちも口コミで来る人が多いのです。
――選手にできることはありますか。
花岡 正しい知識を得てほしいなと思います。どのレベルを目指すかによるのですが、フィジカルに関わる運動生理学的なことは知ってほしいかなと思います。これは僕が散々けがをしてきたから言えることです。あとは負けることの方が多いので、負けから何を学ぶのか、負けたことによる価値を見出してもらうこと。負けて悔しいかもしれないけど、学びが得られると思うし、その学びの蓄積が次の勝利につながるので。勝つことばかりに焦点をあてず、自分自身がその競技が好きで、続けるためにはどうしたらいいか、やり切るためにはどうしたらいいのかという視点を持ってもらいたいです。
身体障害者の自立とスポーツの効用
――経済的自立におけるスポーツの効用はなんですか。
花岡 まずは、社会人として働くということも経験してもらいたいですね。安易にスポンサーや助成金に頼ろうとしないで、働いてお金を稼ぐということをやってほしいなと思います。働くためには体力も必要なので、スポーツって良いですよっていうことを知ってもらいたいです。
――精神的自立におけるスポーツの効用はなんですか。
花岡 経済的自立をすれば精神的自立にもつながっていくのですが、成功体験を積み重ねて、自己肯定をして、一本立ちしていくという流れを作ってもらえるといいなと思っています。スポーツをすることで、経済的自立や精神的自立の土台を作るのが、おそらくスポーツの役割なのかなと思っています。経済的自立と精神的自立が実現したら、スポーツを続ける上での好循環ができてくるわけですよね。スポーツをすることで自立できて、自立できたからスポーツで強くなれるというような。
(取材を終えて)
選手と競技を支える側の両方の視点を持つ花岡さんの話を聞くことで、得がたい体験ができた。一つの目標に邁進し、事故などで目標を見失ったときに、人はどうするのだろうか。しかし、花岡さんはスポーツという生きがいを見いだした。前向きに生きるその姿勢に励まされ、スポーツは心の支えであると思った。