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予備校1期生の挑戦

 伝統ある佐野ラーメン界に、“中華“という新しい風を吹き込む挑戦者がいる。取材班は「佐野ラーメン予備校」で学び、自分の夢をかなえた「晴れる屋」の店主である小林隆宏さんの軌跡をたどった。【「晴れる屋」取材班】

「佐野ラーメン予備校」との出合い

 佐野ラーメンは、青竹手打ち麺(めん)と澄んだあっさりとしたスープを特徴とした栃木県佐野市を代表するご地ラーメンである。市内には多くのラーメン店が点在し、観光資源としてだけでなく、地域の暮らしや文化に深く根付いてきた。近年では、佐野ラーメンの技術や文化を次世代へ継承する取り組みとして「佐野ラーメン予備校」が設立され、移住や創業支援とも結びついた地域連携が進められている。小林さんは、その予備校出身者である。

 店が誕生したきっかけは、小林さんの父が新聞で見つけた「佐野ラーメン予備校」の記事であった。それまで横浜中華街やホテルで合計27年間中華料理人をしていた小林さんは、“いつか自分の店をもつ”という夢をもっており、父から聞いたこの記事との出合いが夢を実現する大きな転換点となった。コロナ禍という困難な時期に、予備校の「ゼロ期生」として入校した小林さんは店作りの全てを一からそこで学んだ。予備校時代の仲間や地域とのつながりは今も強く、この強固なネットワークがお店の活気と安心感を支えているようだ。

 「佐野らーめん予備校」は、「佐野らーめん店を開業したい人」の支援に加え、「後継者不足に悩むラーメン店主」とのマッチングを目的として、2020年に開設された。この取り組みの背景には佐野市の人口減少があり、20年に約11万7000人だった人口は、25年には約11万2000人へと減少し、年間約1000人のペースで減っている。対策として移住支援が検討されたが、移住先での仕事の確保が課題となった。そこで観光資源である佐野らーめんを移住後の仕事につなげる取り組みとして、佐野市の肝いりで同予備校が生まれた。

 運営は当初、国の交付金と市の予算で支えられていたが、現在は市の財源のみで補助されている。佐野市総合戦略推進室移住・定住係の吉沼聖尚さんは「青竹打ちの体験会を実施したり、受講料を確保したりして市役所の補助なしやっていてほしいというのが市役所の願いです。それまで市役所としては、引き続き補助する形で運営を支えていく形になります」と語る。

 開校当初は「佐野ラーメンが盛り上がる」と賛成の声があった一方で、競合店の増加を心配する声もあったが、吉沼さんは、「佐野らーめん会」(「多くの人においしい佐野ラーメンを食べてもらいたい」という思いから、1988年に市内のラーメン店が集まって発足した組織)にはしっかり話をして、今では賛同していただいているという形です」と話す。

技術・経営・地域コミュニティーの三つの支え

 予備校のカリキュラムは、佐野ラーメンならではの技術指導に加え、開業に必要な店舗探しや準備のサポートまで、開店に向けた実践的な教えが多かった。

 技術面では、佐野ラーメンの象徴である青竹打ちの麺づくりや、スープづくりの基礎を学び、地域に根付くラーメン文化を継承している。特に小林さんが印象に残っているのは、予備校の講師が店主を務める店舗で行った2週間の実地研修だ。小林さんは「ラーメンづくりの技術から接客の仕方まで、現場で具体的に教えてもらえたことが本当にためになった」と振り返る。技術だけでなく、現場に身を置くことでしか得られない姿勢や感覚も、大きな財産になったという。 

 さらに、佐野ラーメン予備校は開業支援の面でも心強い存在だった。商工会議所と連携した創業塾として、物件探しのサポートや店舗づくりのアドバイス、融資に関する相談など、佐野市へ移住して開業を目指す小林さんに欠かせない支援が数多くあった。こうした手厚いサポートが、「晴れる屋」の開業を力強く後押しした。 

 また、小林さんにとって予備校の存在は、技術や経営面だけでなく、佐野市でのコミュニティーづくりにもつながった。予備校を通じて飲食店組合やラーメン会との交流が生まれ、開業後もそのつながりは続いている。 

 佐野市で新たに店を構える小林さんにとって、佐野ラーメン予備校は、技術・経営・地域コミュニティーの三つの側面から支えてくれる心強い存在だった。幅広い支援に支えられ、小林さんは安心して「晴れる屋」の開業の日を迎えることができた。

 開講してから5年の間に61人の応募者の中から27人が選ばれ受講し、約半数が佐野市内で開業した。また、佐野ラーメン予備校は県外出身の受講生が多く、県内にゆかりのある人が県外で働き、佐野市にUターンしたケースも何人かいるそうだ。また、実際に19世帯39人が佐野市に移住しており、地域の魅力をいかした取り組みとして注目を集めている。

「晴れる屋」の特色 

 小林さんは、21年「晴れる屋」を開店した。毎朝4時半から仕込みを開始し、その日のスープの出来や麺の状態に合わせて塩の量などを微調整する「日々の積み重ね」を徹底している。開店当初は理想の麺が打てず苦労したというが、そのギャップを埋めるための日々の試行錯誤が、現在の高い完成度へとつながっている。中華料理人時代の経験も料理に大いに生かされている。サイドメニューのギョーザ一つをとっても、佐野らしい大ぶりなサイズでありながら、黒酢と自家製ラー油で食べるスタイルを提案したり、新メニューに麻婆麺(マーボーメン)や担々麺(タンタンメン)など中華料理の雰囲気を持たせたりするなど、料理のところどころに中華の知見が感じられる。

 接客する際に大切にしていることを聞いてみると、「もうお客さんに喜んでいただけること。これだけです」と笑った。小林さんを中心とした従業員たちの、〝客に喜んでもらうこと〟を最優先する接客精神も同店の大きな魅力であり、細やかな気遣いが多くのリピーターを生んでいる。また、店長の接客も店の売りの一つである。客に喜んでもらうことを第一に考え、雨の日の傘立ての利用や水の提供の仕方など、細かな点にも気を配っている。こうした姿勢があるからこそ、カウンター席では客と会話を楽しむ様子が見られ、2、3日おきに来店する常連客もいるのだろう。中には、自宅でとれた柿やお土産を持参する客もいるようで、店が地域の人々に親しまれていることがうかがえる。さらに、店の看板のロゴは高校時代の友人と共に制作したものであり、こうした人との縁の積み重ねによって、「晴れる屋」は形作られてきた。

 小林さんの自身の料理への情熱は、伝統と革新が同居する一杯のラーメンを通じて、これからも多くの客を魅了し続けるに違いない 。

  直近では、佐野らーめん会でビートルズのカバージャズのイベントを開催したそうだ。小林さんは、「普通なら〝ひとりぼっち〟になってしまいがちな飲食店経営において、知り合いが多いことも、佐野ラーメン予備校の大きな魅力」と語った。

「晴れる屋」の佐野らーめんとハレルヤ餃子(ギョーザ)

取材を終えて

 佐野市では、人口減少という課題に向き合う中で、移住後の仕事をどう支えるかを重視してきた。佐野市職員の吉沼さんが「社会人が移住を考える際、最大の壁は働き口だ」と語ったように、ラーメン予備校は佐野の観光資源をいかしながら、開業や事業承継という具体的な選択肢を示してきた画期的な取り組みである。吉沼さんの「これからも、ラーメンを作る人や食べに来てくれる人においしいと言ってもらえるよう努力していきたい。ぜひ一度、佐野市に足を運んでほしい」という言葉からは、地域とともに歩もうとする姿勢が感じられた。

 そして、その思いを現場で体現している小林さん。20歳の頃に抱いた〝自分の店を持つ〟という夢をかなえた自身の経験を基に、将来の進路選択に悩む私たち若者にこう語る。「本当にかなえたい夢が見つかったら、夢のままで終わらせず、目標にしてほしい。目標にすれば、やるべきことが明確に見えてくる。そのあとは覚悟をもって突き進んでほしい」

 当時の夢を現実にした小林さんの今の目標は、〝80歳まで麺を打ち続け、お客さんを喜ばせること〟だという。日々の積み重ねを大切にしながら、さらなる高みを目指すその姿は、まさに挑戦を続ける人の象徴であった。ぜひ一度、小林さんが心を込めて作る一杯を味わってほしい。(取材班)

お話をしてくださった小林さん
「晴れる屋」

 取材班は、伊藤真優、下司浩輔、田嶋花帆、中村妃織、矢田沙織、山本大翔(いずれも宇都宮大学地域デザイン科学部「地域メディア演習」履修者)。

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